アコウオオイシジンジャ 神社コード
赤穂大石神社 6321050/本務
所在地 678-0235
赤穂市上仮屋129
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電話番号 0791-42-2054(大石神社)
HP http://www2.117.ne.jp/~akoooisi/
通称名
例祭日 12月14日
例祭の
通称
交通公共 JR赤穂線「播州赤穂駅」より南南西へ1000m
交通・車 山陽自動車道 赤穂インターより5分
塩屋門より入り大石神社駐車場にお車を止めてください
駐車場
主祭神 赤穂四十七義士命  アコウシジュウヒチシノミコト
配祀神 浅野家三代士霊 赤穂森家七代士霊                    
【アサノケサンダイシノレイ アコウモリケナナダイシノレイ                    】
祭記事
由 緒
 元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で、勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、指南役の高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという一大事件が起こった。

 長矩は将軍綱吉の独裁を持って即日切腹、浅野家は取り潰しとなるが、吉良方には何のおとがめもなかった。これが第一の事件である。

 それから、1年9ヵ月後、即ち元禄15年(1702)の12月14日の夜、長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七士の忠義の武士が、本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入り、美事義央の首を打って主君の怨みを晴らし、幕府の失政に一矢を報いる事件が起こった。そして、2ヵ月後、義士達は武士にとっては最高の名誉である切腹という処分をうけた。これが赤穂浪士の復讐事件といわれる第二の事件で、この二つの事件を合わせたものが世に言う「忠臣蔵」である。

 大石神社は明治天皇の勅旨を契機として、明治33年(1900)神社創立が公許せられ、まず大石邸長屋門の保存修理から始まって、義士を崇敬追慕する多くの方々からの浄財によって本殿以下社殿が竣工し、大正元年(1912)11月、四十七義士を祀る神社としてご鎮座になった。
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