ヒョウズジンジャ |
神社コード |
兵主神社 |
6312117/本務 |
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所在地 |
679-0313
西脇市黒田庄町岡372-2 |
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電話番号 |
0795-28-2284(兵主神社) |
HP |
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通称名 |
ひょうさん |
例祭日 |
10月の第2日曜日 |
例祭の
通称 |
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交通公共 |
JR加古川線「黒田庄駅」より北北東へ350m |
交通・車 |
中国自動車道「滝野社IC」下車、国道175号線を北上し、黒田庄町畑瀬橋の信号を右折し次の信号を左折、100m進むと右手に大鳥居が見える。 |
駐車場 |
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主祭神 |
大己貴神 オオナムチノカミ |
配祀神 |
八千矛神 葦原醜男 大物主神 清之湯山主三名狭漏彦八島篠神
【ヤチホコノカミ アシハラシコオ オオモノヌシノカミ スガノユヤマヌシミナサモルヒコヤシマシノノカミ 】 |
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祭記事 |
猿田彦(天狗)が道中を祓いながら先導し、その後に奴が挟箱立傘、台傘、鳥毛、槍を持ちて囃子唄に合わし、大名行列を模したレッケイにて神輿、稚児、舞姫、神社役員、来賓、神職が続き、神輿行列をとりおこなう。
神輿1基、布団屋台5台、子供神輿3基が次々と境内にねり込む。 |
由 緒 |
「従五位下大和掾恒岡は、大和国の南都の岡本に住す。臣知恒は恒岡の次男にして、ここに宝亀五年(774)正月十日始めて播磨掾を拝す。同年三月播磨国多可郡大志野の岡城に赴く。延暦元年(782)正月、城の南に森四町余を開く。同三年甲子六月十四日兵主五社大明神を勧請せり延暦三年十月岡本修理大夫藤原知恒誌す」
岡本修理太夫の子孫とみられる末流は本町、氷上郡氷上町、氷上郡山南町及柏原町に住居せられているようである。
岡本修理太夫藤原知恒
弘仁8年(817)酉7月17日卒ス
茅葺き拝殿(安土桃山時代建立)豊臣秀吉が三木城(別所長治)攻略後、黒田官兵衛に命じ寄進されたと伝えられる。 |
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