| ケンソウジンケンジンジャ |
神社コード |
| 顕宗仁賢神社 |
6301204/兼務 |
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| 所在地 |
651-2222
神戸市西区押部谷町木津569 |
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| 電話番号 |
078-994-4406(住吉神社) |
| HP |
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| 通称名 |
柴垣の宮・木津の宮 |
| 例祭日 |
10月23日 |
例祭の
通称 |
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| 交通公共 |
神戸電鉄粟生線「木津駅」より北西へ400m徒歩5分 |
| 交通・車 |
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| 駐車場 |
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| 主祭神 |
顕宗天皇 ケンゾウテンノウ |
| 配祀神 |
仁賢天皇 大日●命(●は靈の巫→女)
【ニンケンテンノウ オオヒルメノミコト 】 |
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| 祭記事 |
| 年2回、「コウド」・「シュウシ」といわれる旧氏子の酒宴行事があり、1月には「オオドシ」・「弓引き」、3、10月には「神相撲」がある。 |
| 由 緒 |
当社の創建は、御祭神の一柱である仁賢天皇の勅を受け、11年(498)9月23日と伝えている。
第17代履中天皇の孫にあたる弘計・億計(後の顯宗天皇・仁賢天皇)は、父である市辺押盤皇子が皇位継承の紛争にまきこまれ雄略天皇に滅ぼされた為、難を避けて播磨国赤石郡縮見屯首忍海部造細目の家に、丹波の小人と偽って使用人となった。二王子は身分の明らかになる事を恐れ言葉の不自由なふりをし、火焚き・水汲み・株苅りなど炎暑寒冷をいとわず働いた。やがて、雄略天皇の御子である清寧天皇が位に就いたが、この天皇には御子がないため皇位を継ぐべき人を探していた。播磨国司山部連の遠祖伊与来目部小楯が、新嘗の供物を整える為に細目の家に来たところ、新室家を建て祝宴をしていた。小楯は、この席で歌に託して身分を明らかにした二王子を知り驚き、里人を集め大急ぎで仮宮を造り、二王子の御殿とした。これが「柴垣の宮」の起源である。
その後、小楯は清寧天皇に子細を奏上するに、天皇大いに喜び、すぐ二王子を都に迎えて世継ぎとした。この二王子の縁の地に、当社が創建された。 |
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