ハガハチマンジンジャ 神社コード
波賀八幡神社 6320117/本務
所在地 671-4241
宍粟市波賀町安賀435
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電話番号 0790-75-2157(小林)
HP
通称名
例祭日 10月21日に近い日曜日
例祭の
通称
交通公共 神姫バス、宍粟市「山崎バス停」より波賀線、皆木または原行きに乗車。「安賀バス停」下車し北西へ10m、徒歩1分。
交通・車 中国縦貫道「山崎IC」から国道29号線を北へ約30km。波賀中学校の裏。
駐車場
主祭神 応神天皇  オウジンテンノウ
配祀神 仲哀天皇 神功皇后                    
【チュウアイテンノウ ジングウコウゴウ                    】
祭記事
◆チャンチャコ踊り(宍粟市指定無形文化財)
 開願祭(8月19日以降の日曜日)に行われる。その昔大暴風雨が起こったので神に祈ると治まった。その時のお礼として代々踊り伝えてきた稚児による踊りである。神事の後、5地区の氏子が順に踊りを奉納する。大人は囃し手。子供がカンコ(太鼓)とシンポウチ(御幣・唐団扇)に分かれて踊る。

◆御幸祭(宍粟市指定無形文化財)
 渡御祭のことで、御旅・神幸祭とも言う。10月21日に近い日(奇数年と偶数年の神託に拠る年)の秋季例大祭の日に行われる。室町時代以前から行われてきたと推測され、神輿担ぎや騎馬隊等古式に則った衣装を着て、神子拝礼・威儀弓の儀など伝統の神事が行われる。
由 緒
 言い伝えによると、応和元年(961)時に人が産土の神としてお祀りしたのが始まりとされている。

 波賀の庄と称した頃は領主・波賀七郎光俊が氏神として深く崇敬した。天文9年(1540)、領主・丹治大河原備中守之清が備前長船勝光の作った刀を奉納している。

 江戸時代には安賀村高の内を以て神社の収入に当てており、古来より武門武将の崇敬者であった。

 明治7年(1874)に郷社に列せらる。明治45年(1912)3月27日、神饌幣帛供進の神社に指定される。明治28年(1895)には絵馬殿を拝殿とし、社務所を改築している。明治44年(1911)には斉木村妙見社以下各村の6社を合祀。大正2年に天王神社以下境内3末社を合祀。昭和36年(1961)、鎮座一千年大祭奉仕。

 神社の古い池には亀が多数住み、「亀の神社」として親しまれてきた。平成15年(2003)に氏子多数の奉納により長寿石亀一対が建設され、長寿祈願のシンボルとなっている。

 平成16年には地元の篤志家により、引原川の橿原の御旅所が整地新設された。玉垣囲いの立派な神域となり、神馬伝説もあって名所になっている。
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