| ヒオカハチマンジンジャ | 
                神社コード | 
               
              
                | 日岡八幡神社 | 
                6319064/本務 | 
               
              | 
          
          
             
               | 
            
              
                | 所在地 | 
                679-5134 
                 佐用郡佐用町乃井野1051 | 
               
              
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                | 電話番号 | 
                0790-79-3090(八幡神社) | 
               
              
              
                | HP | 
                 | 
               
              
                | 通称名 | 
                 | 
               
              
                | 例祭日 | 
                10月14・15日 | 
               
              
                例祭の 
                  通称 | 
                 | 
               
              
              
                | 交通公共 | 
                 JR姫新線「三日月駅」下車し、西へ約1kmm三日月中学校の北、徒歩20分。 | 
               
              
                | 交通・車 | 
                 国道179号線、三日月駅前信号より西へ約1km。味わいの里三日月のカンバン右側から北へ約500m。三日月中学校の北側 | 
               
              
                | 駐車場 | 
                あり(台) | 
               
              | 
          
          
            
              
                | 主祭神 | 
                仲哀天皇  チュウアイテンノウ | 
               
              
                | 配祀神 | 
                神功皇后 応神天皇                     
                  【ジングウコウゴウ オウジンテンノウ                    】 | 
               
              
              | 
          
          
            
              
              
                | 祭記事 | 
               
              
                |  10月15日の近い土日に神輿4台が古式により、渡御式を行い、宵宮は御旅所に駐輩、本宮に還幸になります。還幸には近隣の氏子、集落より屋台が御旅所に参集し還幸行列に従行し、町内を練り祭典を祝います。又、境内においても、獅子舞、屋台練り等の奉納行事が盛大に行われます。  | 
               
              
              
                | 由 緒 | 
               
              
                 伝えいう山城国石清水八幡宮より分霊を勧請すと、元暦2年(1185)正月9日八幡宮寺神領として船曳庄の見えたれば同庄鎮守として当社の信仰篤かりしを知る。
 
  降って永正13年(1516)船曳庄より公用130貫文のあるより推考するに石清水との交渉久しきに渉るを知る。寛永元年(1624)7月16日神社西方山林畑を開墾せんとして山林柴草を刈取り焼却の際、火社殿に移りて焼失する。
 
  明暦元年(1655)本殿を造立し延宝3年(1675)、享保5年(1720)、宝暦5年(1755)、明和7年(1770)、天明2年(1782)、寛政5年(1793)、文化元年(1804)等に本殿の屋根替を行う。天和3年(1683)拝殿を元文元年(1736)幣殿を何れも再建せり。嘉永6年(1853)本殿を修理し、爾来今日まで再三之を行う。
 
  猶領主森俊春元禄12年(1699)美作国津山城より当地に移封せらるるや居城を当社境内に選定普請せられたる関係上、崇敬特に厚く建造物其の他種々寄進あり。明治7年(1874)2月郷社に列せられ同40年(1907)宿居神社以下31社を合祀せり。 | 
               
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