アボシジンジャ 神社コード
網干神社 6316115/兼務
所在地 671-1234
姫路市網干区新在家366
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電話番号 079-272-0664(魚吹八幡神社)
HP
通称名
例祭日 1月10日
例祭の
通称
交通公共 山陽電鉄「網干駅」より南へ徒歩15分
交通・車
駐車場
主祭神 事代主神  コトシロヌシノカミ
配祀神 住吉の神 大国主神 塩竈の神 稲荷の神                  
【スミヨシノカミ オオクニヌシノカミ シオガマノカミ イナリノカミ                  】
祭記事
由 緒
 慶長5年(1600)姫路蕃池田氏領となってより明治維新まで、幾度か領主の変遷を見たが、早くから塩浜が拓かれ天明7年(1787)塩田が開発された。従来一つであった余子浜、興浜、新在家が分割されたのは万治年間(1658〜1660)である。

 寛保年間(1741)新在家に利左衛門という者がいて、蛭子の小社を守り自ら「えびすや」と称した。しかし家は極貧のため妻はその子甚次郎と一女を残して、吾が里に逃帰する。甚次郎は幼いながらも魚売りをして生業を助けるが、やがて父は虚しくなる。稟性貞実正直にして利をむさぼらず生業に励む甚次郎は、傍ら養母と逃帰した母へも孝養を尽くした。成長するに及び魚売りをやめ、諸品を携えて備前美作へと行商をなした。そして遂に家を富ます。幼年より蛭子神への信仰が篤かった甚次郎は、その財を以て神田を買い求め、宝暦10年(1760)蛭子の社を造営する。遠近の貴賤群集として彼の徳行を讃え、祭りは大いに賑わったという。これが新在家の戎神社の興りである。明治42年(1909)、内務省令により大国神社、宇賀神社を合祀して「網干神社」と改称する。
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