オノエジンジャ |
神社コード |
尾上神社 |
6314071/兼務 |
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主祭神 |
底筒男命 ソコヅツオノミコト |
配祀神 |
中筒男命 表筒男命 息長足姉命
【ナカヅツオノミコト ウワヅツオノミコト オキナガタライメノミコト 】 |
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祭記事 |
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由 緒 |
神功皇后が三韓征伐をなされた時、御凱陣の砌、此処に上陸されたが、霖雨が降り続いて軍を進めることが出来なかった。そこで、「鏡の池」で斎戒沐浴して当社を鎮祭し、晴を祈願されたという。以後軍神、海上の守護神として舟人の参詣する者が多かった。
播磨風土記に「昔大帯日子命、幸行別媛之處、道辺有長田、勅云、長田哉、故曰長田里」とみえ、「高砂」という地名は、むかし此の辺一帯の総称で、当社は所謂「高砂の尾上云々」とうたわれた名所である。
醍醐天皇の御代、肥後の国阿蘇宮の神宮友成が上京のみぎり、当社に参拝し、相生の松を探ねた時、尉姥二神が顕れ給い、夫婦睦まじく歳久しく住み給いしという、目出度い古説は、人口に噌炙して、丹青に画かれ、詩歌に詠まれ、婚礼には島台と名づけて此の形をとり、正月には蓬莱に並べて祝っている。
豊臣秀吉の三木城攻めの際、戦乱のため、社頭は荒廃していたが、慶長9年池田輝政が姫路の藩主となった時、初代相生の松の根の上に社殿を移して修築。
寛永2年(1625)、本多忠政が鐘楼を建立した。 |
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