オノエジンジャ 神社コード
尾上神社 6314071/兼務
所在地 675-0024
加古川市尾上町長田518
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電話番号 0794-22-5676(尾上神社)
HP http://www.eonet.ne.jp/~onoe-jinja/
通称名
例祭日 9月30日
例祭の
通称
交通公共 山陽電鉄「尾上の松駅」より南東へ800m
交通・車
駐車場
主祭神 底筒男命  ソコヅツオノミコト
配祀神 中筒男命 表筒男命 息長足姉命                   
【ナカヅツオノミコト ウワヅツオノミコト オキナガタライメノミコト                   】
祭記事
由 緒
 神功皇后が三韓征伐をなされた時、御凱陣の砌、此処に上陸されたが、霖雨が降り続いて軍を進めることが出来なかった。そこで、「鏡の池」で斎戒沐浴して当社を鎮祭し、晴を祈願されたという。以後軍神、海上の守護神として舟人の参詣する者が多かった。

 播磨風土記に「昔大帯日子命、幸行別媛之處、道辺有長田、勅云、長田哉、故曰長田里」とみえ、「高砂」という地名は、むかし此の辺一帯の総称で、当社は所謂「高砂の尾上云々」とうたわれた名所である。

 醍醐天皇の御代、肥後の国阿蘇宮の神宮友成が上京のみぎり、当社に参拝し、相生の松を探ねた時、尉姥二神が顕れ給い、夫婦睦まじく歳久しく住み給いしという、目出度い古説は、人口に噌炙して、丹青に画かれ、詩歌に詠まれ、婚礼には島台と名づけて此の形をとり、正月には蓬莱に並べて祝っている。

 豊臣秀吉の三木城攻めの際、戦乱のため、社頭は荒廃していたが、慶長9年池田輝政が姫路の藩主となった時、初代相生の松の根の上に社殿を移して修築。

 寛永2年(1625)、本多忠政が鐘楼を建立した。
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