マツオジンジャ 神社コード
松尾神社 6303012/本務
所在地 665-0881
宝塚市山本東1-9-1
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電話番号 0797-89-8725(松尾神社)
HP
通称名
例祭日 10月27日
例祭の
通称
交通公共 阪急宝塚線「山本駅」より西へ450m
交通・車
駐車場
主祭神 大山咋命  オオヤマクイノミコト
配祀神 坂上田村麻呂公                     
【サカノウヘノタムラマロコウ                     】
祭記事
 天正年間(1573〜1591)以前から行われていたと伝わる松尾・天満神社の御祭神勧請の故事に基づく大祭で、「とんとこ祭り」の名称は神輿を先導する太鼓をトントコトンと叩くことに由来している。松尾神社より発した神輿行列が山本の郷内を巡り天満神社の御分霊をも遷し御旅所へと向かう。

 かつては、天神川に神輿を担ぎいれ、足で水を掛け合う奇祭として知られ、その濁り水は皮膚病に効能があるとされた。

 古式に則り粽が供えられ、奉仕者は茗荷や蕗を肴にサルトリ茨の葉を杯に神酒を拝戴する。

 現在は、5年に1度斎行される。
由 緒
 『柏葉集』『松尾丸社縁起』によると、安和年間(968〜970)に清和源氏・源満仲に仕える四天王の一人、坂上党武家団の頭梁・浦辺太郎坂上季猛が先祖にあたる征夷大将軍・坂上田村麻呂公を武神として祀り創建、山本郷の産社とし天下平治を祈ったと伝わる。田村麻呂公は父の坂上田村麻呂公が山城国松尾大社に祈り得た子であり、幼名を松尾丸と名付けられたことから、創建時は将軍宮・松尾丸社と称された。

 将軍家の祖神として崇敬された中でも源頼朝の信仰が篤く、将軍交代の折には守護弓として新製弓を献上、全国の武家もこれを用いたと伝わる。

 後に松尾大社領となり、大山咋命を勧請した。

 室町幕府の衰退により塩川伯耆守国満が信長の下に走り天正年間(1573〜)に山本郷を襲い、松尾丸社をはじめ武家舘悉く炎上し、その後現在の場所に移し松尾神社と改称して今日に至る。

 現本殿は寛文11年(1671)の再興で市文化財に指定されている。

 本殿覆、弊殿、拝殿、神輿庫、薬師堂は昭和63年(1988)に改築された。

 治山治水・建築・開運厄除・醸造の神として崇敬が篤い。
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