ミナトガワジンジャ 神社コード
湊川神社 6301046/本務
所在地 650-0015
神戸市中央区多聞通3-1-1
  docomoはこちら。 auはこちら
電話番号 078-371-0001
HP http://www.minatogawajinja.or.jp/
通称名 楠公さん
例祭日 7月12日
例祭の
通称
交通公共 ◆JR神戸線 「神戸駅」より北へ500m徒歩約7分
◆阪急・阪神・山陽各電車「高速神戸駅」すぐ
◆市営地下鉄 山手線「大倉山駅」より南へ300m徒歩約5分
交通・車 ◆JR新幹線「新神戸駅」より車で約10分
◆大阪方面より阪神高速3号神戸線 京橋ランプ〜国道2号線を西へ約10分
◆姫路方面より阪神高速3号神戸線 柳原ランプ〜国道2号線を東へ約10分
駐車場
主祭神 贈正一位橘朝臣正成公  ゾウショウイチイ タチバナノアソンマサシゲコウ
配祀神 楠木正成公夫人 贈従二位楠木正行卿 贈正三位楠木正季卿 贈従三位菊池武吉卿 江田高次命 伊藤義和命 箕浦朝房命 岡田友治命 矢尾正春命 和田正隆命 神宮寺正師命 橋本正員命 富田正武命 恵美正遠命 河原正次命 宇佐美正安命 三石行隆命 安西正光命 南江正忠命   
【クスノキマサシゲコウフジン ゾウジュニイ クスノキマサツラキョウ ゾウショウサンミ クスノキマサスエキョウ ゾウジュサンミ キクチタケヨシキョウ エダタカツグノミコト イトウヨシカズノミコト ミノウラアサフサノミコト オカダトモハルノミコト ヤオマサハルノミコト ニギタマサタカノミコト ジングウジマサモロノミコト ハシモトマサカズノミコト トミタマサタケノミコト エミマサトオノミコト カワハラマサツグノミコト ウサミマサヤスノミコト ミツイシユキタカノミコト アンザイマサミツノミコト ミナミエマサタダノミコト   】
祭記事
 神社創建まもなくから例祭には、神輿渡御が行われてきたが、やがて5月25日の楠公祭には、大楠公を大将とする騎馬武者がこれに供奉して、楠公武者行列が行われるようになった。

 この行列は、元弘3年(1333)、建武中興に大いなる功績を残された大楠公が、隠岐から御還幸の後醍醐天皇を、途中この神戸の地でお迎えし、京都へ先導された最も晴れやかなお姿を讃えて行われてきた行列である。

 時代と共に中断の已むなきに至ったが、平成14年、実に17年振りに復活し、国の文化振興助成によって装具・行粧が改められ、当初故実に則って定められた67年前に復して実施され、その後定期的に行われている。
由 緒
 元弘元年(1331)、楠木正成公(大楠公)は、後醍醐天皇の勅を奉じて挙兵、奇策智謀に優れて、遂に鎌倉幕府を崩壊に導き、「建武の中興」に大きな功績を立てられた。

 しかし、まもなく足利尊氏が叛いたが大楠公に破られ九州へ敗走、やがて大軍を率いて京都に攻め上って釆た。大楠公は御嫡子の正行卿に後事を託して桜井の駅で別れ、この湊川(現在神戸市)の地で迎撃。しかし、衆寡敵せず、御弟正季卿と「七生滅賊」を誓って殉節を遂げられた。延元元年(1336)5月25日のことであった。

 幕末から維新にかけて、尊崇して已まない大楠公の御神霊を奉斎したいという国民運動が盛んになり、明治元年(1868)明治天皇は、神社創祀の御沙汰を下された。

 よって明治5年(1872)5月24日、社名を「湊川神社」とし、初めての別格官幣社に列せられ、同日鎮座祭、翌25日楠公祭が斎行されて、ここに湊川神社が創建されたのである。
Copyright (C) 2008 兵庫県神社庁 All Right Reserved, 記事・写真の無断転載を禁じます。